隠州在北海中故隠岐嶋

1656-title.jpg

 米子の村川・大谷 両家が竹島渡海を行っていた時期に書かれた「隠州視聴合記」を検討してみます。


(a) 隠州在北海中 故隠岐嶋 [按、倭訓海中言遠幾故名歟]
 意訳 隠州は北海にある。ゆえに隠岐島という。訓読みで海の彼方を「沖(おき)」というからか

(b) 其在巽地言島前也 知夫郡・海部郡属焉
    其位震地言島後 周吉郡・穏地郡属焉
    其府者周吉郡南岸西郷豊崎也

 意訳 南東の方にある地が島前。知夫郡・海部郡がある。
    東の地が島後。周吉郡・穏地郡がある。
    その府(地方の中心地)は周吉郡の南岸の西郷豊崎である。

(c) 従是南至雲州美穂関三十五里
    辰巳至伯州赤碕浦四十里
    未申至石州温泉津五十八里
    自子至卯無可往地
    戌亥間行二日一夜有松島
    又一日程有竹島 [俗言磯竹島][多竹・魚・海鹿]
    此二島無人之地
    見高麗如自雲州望隠岐
    然則日本之乾地、以此州為限矣

 意訳 これより南に美保関まで三十五里
    南東に赤崎浦まで四十里
    西南に温泉津まで五十八里
    北から東までは往く地はない。
    北西に二日で松島がある。
    またもう一日行くと竹島がある。
    出雲から隠岐が見えるように 高麗(朝鮮半島)が見える。
    然らば 即ち この州をもって日本の北西限となる 


 基準は「近」→「遠」で並べてあります。
 しかし最後の1行。 ここまで淡々とフォーマットに従って書かれていた文章が
 「然則」「矣」   と、強調しまくりです。


(b)島前島後の説明について


 方位について 原文を方位に転記すると(距離は 一里=3.9.km で計算)

 (図a) 1656-a.jpg



 同じ東を表現するのに「其位『震』地言島後・・・」「自子至『卯』無可往地」 と、二通りの表現があります。

 すると、同じように方角で説明があるとしても、その方位の単位が違い、対象が違うと思われるので、(b)(c)に分けました。

 ここで、地図です

 (図b) 1656-b.jpg

 基準が海の中にある事に注目すべきです。これは、斉藤氏の隠岐認識が島前島後の空間を越えていたことが窺えます。



 (c)本州各地迄の距離について


 本州側の各地からの距離で示します。(一里=4km)

(図c)1656-c.jpg1656-c.jpg

 成り立っていません。

 試しに 距離を半分 (一里=2km) にしたら

(図d)1656-d.jpg1656-d.jpg

 まぁまぁのいい線が出ました・・・。
 しかし、なぜに一里が2kmなのでしょうね。

 もしかしたら、地上の一里は4kmで、海上のの一里は4kmなのかも


 まとめに 図bと図dを重ねてみます。


1656-e.jpg1656-e.jpg


 1667年に これだけ正確に地理が述べられているのはすごいことですね。


 きちんと計測する技術が存在したと思われます。


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  • 最終更新:2013-03-01 00:17:47

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